2012/06/24 (Sun) 10:52
昨日は
ちはるの森
http://chiharuh.jp/
の畠山千春ちゃんによる
chicken`s kitchen 屠殺ワークショップに参加してきました。
実は、参加するのを
ギリギリまでとても迷いました…
だけど、
千春ちゃんと
「沢山の命をいただいて今自分がある」という話をしたのを思い出して
決意が固まりました。
私は、これまでどれだけの命を口にしてきたのか
そして、食卓に並ぶお肉が、スーパーにならぶお肉が、
いったいどういう過程を経てそこにあるのか
それを知らずに、感じずに死んではいけないような、
そんな気になったのです。
このあいだ出演した能古島のイベント
「ノコノコロック」で千春ちゃんと出会い、このような決断をするのも
きっと何か不思議な縁なのでしょう。。
会場に行くと、
ニワトリが2羽元気よく歩いておりました。
茶色いボリスブラウンという種類のニワトリです。
抱かせてもらいました。
ニワトリを胸に抱くのはこれがはじめてでした。
フワフワしていて温かいのです。
瞬きをして、とても元気です。
みんなで生きているニワトリを触ってから
千春ちゃんの講義がはじまります。
千春ちゃんは、プロジェクターに
私達が普段食べているニワトリの暮らしを映して説明してくれます。
養鶏のメジャーな飼育方法は
ケージ飼いであること。
この方法は、大量生産向きで、
千〜何万羽の鶏を鶏舎内のケージで飼うのです。
生産コストも低いとのこと。
ニワトリはとても狭いケージの中(A4サイズ位)で
ひたすらベルトコンベアから運ばれてくる餌を食べ
換気をしない小屋で卵を産むのです。
よくスーパーで安売りしている卵は
このように育てられているニワトリから生まれたものです。
また別の飼育方法として
「平飼い」というのがあり、
ニワトリは小屋の中で数羽が元気に走り回りながら
卵をうみます。
今日これから命をいただくニワトリは
平飼い養鶏所で育てられた鶏です。
さて、2グループに分かれて
みんなの役割を決めます
・ニワトリを抑えている人
・殴って気絶させる人
・首を切る人
・血を抜く人
・熱湯に入れる人
・羽根をむしる人
・内蔵をとり出す人
私は、ニワトリを抑えている役割を
やらせていただくことにしました。
千春ちゃんが、
この「抑えている役割」のひとが大変だと言ったからです。
また、服に血やうんちがつくことがある、と
そして、抑えている役割のひとが一番、生と死を感じるでしょう、と。
はじめに私達のグループから
鶏の命をいただくことになりました。
私はしっかりと、抑えていました。
千春ちゃんがやり方を説明してくれます。
殴って気絶させるのも、中途半端だと鶏が辛い思いをするので
一発でやらなくてはなりません。
実はその説明を聞いている時に
私はこの温かい命をこれから奪って食べるのだ
ということに震えて
みんなに見えないように泣いていました
だけどね
私が美味しい美味しいといって食べてきた
カレーや鶏の唐揚げ、肉じゃが等などは全部
こうやって生きていた豚や牛や鶏の命をいただいて成り立っていたんだよ
泣いているけどさ、、
もうすでにいただいてきたんだよ、、、
そうこうしているうちに
この鶏の命をいただく時がやってきました
鶏の方もわかっているのか
覚悟をしたように
首を差し出しているように見えました
勝手な解釈ですが
そう見えました
殴って気絶させる係の人が
やり方を聞いて
鶏が辛くないように棒を振り下ろしました。
それでもバタバタ、バタバタ、と
鶏は動きます
「ごめんね、ごめんね、」
「いたいね、ごめんね」
私はずっと抑えていました
少量の血が私の手や服に飛びました
そして、すぐに首を落とします
あっけなく、首と体が離れました
そして、血を抜きます
ここで、血をぬく役の人に鶏を渡しました
私の手はいつまでもブルブル震えていました
「ニワトリ、死んじゃった」
ワークショップは続きます
私が呆然としていると
「大丈夫ですか」と声とかけてくださる殿方が…
「あちらで手が洗えますよ」
私は呆然としたまま、
手を洗いにいきました
そのまま小屋の裏に行って
一人でオイオイ泣きました
なんちゅうことを…
いや、
今までこれがあるから
スーパーにお肉が並んでいたわけだ
誰かがしていたことを
昔はおそらく
いきもの皆がやっていたことを
今、やったのだ
今まで私、
こんな背景があるなんてちっとも知らなかった
というか考えようとしなかった
いい大人が
人前で泣くなんて
だけど
その時私は心の整理がつきませんでした
ブッタで昔読んだ話
ウサギが自分の命を差し出す話
ある人間が自ら進んで虎の餌になる話
わたしの手には
さっきの元気なニワトリのずっしりした重みと
あたたかくてふわふわの羽根の感覚が残っていて
それは
私が小さいころ一緒に過ごした
柴犬の「コロ」の温かさと一緒だったし
今実家にいる猫の「クロ」の温かさと一緒だったし
私が抱きしめる家族の温かさと一緒だった
嗚咽をあげて泣いていると
遠くから1歳になる娘の泣き声がしました
娘は会場から離れた所で主人に見てもらっていました
(このワークショップに参加させるにはまだ早すぎると思ったのです)
私は走って娘の所にいきました
私が近づいていくと、
私が顔を歪めて泣いているのに気づいたのか
娘はピタっと泣くのをやめて
私の頭を撫でてくれるのでした
温かいなあ・・
この手の温かさは
一体どこからきたの
そうだよ
今まで一体どれだけの命を口にしてきた?
わたしは命を食べ
あなたのところに
わたしの母乳がいく
命はまわっている
過去をふりかえると
必要以上に命をいただいて
それなのに残したりしてこなかった?
バカ バカ 私 最低
遠くから私を呼ぶ声がしました
大好きな友達の声です
その友だちは、自然たっぷりの島に住んでおり
解体の現場に立ち会ったりもしているので
こういったことには少し慣れているようでした
彼女は木いちごをつんだり、甘夏をもいだり
釣れたさかなや貝を食べたり
私よりも、もっとずっといきものと身近な生活をしています
彼女は命が巡っていることを
生活の中でわかっているように感じました
それに比べて私は
ヒヨッコに思えてきましたが
でも、これが、いきものと身近な生活をしてこなかった
私の正直な今のきもちでした
ワークショップはつづきます
私が会場に戻ると
「鳥の羽をむしる」作業をしていました
血抜きをしたニワトリをお湯にひたし
毛穴を開いて蒸してから
羽根をむしります
毛穴が開いているので
すぐに羽根はとれます
羽根がとれると
普段スーパーなどでよく目にする
鶏の形になります
私は、美味しそうと思っていいのか
ここでも心の整理がつきませんでした
そして、内蔵を取り出します
中から殻のついた卵が出てきました
生む前の卵でした
そして黄色い「きんかん」も
「きんかん」とは、
鶏の体内で成長途中の卵のことだったのですね
鶏の内蔵という認識でした‥
(間違いではないのかもだけど)
でも、はじめの衝撃がまだ続いており
わたしはまだ、今の状況に混乱しておりました
そして、ニワトリは
料理研究家の井口さんによって
大切に美味しく調理されていきました…
そして、皆で持ち寄ったお皿の上に
美しく並びました
(この日はマイ箸マイ皿マイコップを持ち寄りました)
この日の
「いただきます」は
これまでの「いただきます」よりも
とてもとても重く、感謝の気持ちがこもりました
みんなで美味しくいただいた後は
「あなたにとって食べることとは何か」というテーマで
グループに分かれてディスカッションしました
1グループ5人くらいで それが5島くらいあったかな
途中でメンバーを変え、その都度新しいメンバーで話し合いました。
それぞれ皆、食べることについて真剣に話し合いました
いままでこんなに「食べること」について
考えたことはなかったと思います。
そして片付けをし
千春ちゃんやみんなにお礼をいって下山しました。
山を降りて
普通の町並みを車でゆくと
さっきまでのことが
なんだか夢を見ていたような気分になりました
だけどあれは現実です
街を歩くひとが見えると
あの人の中にどれだけの命が巡っているのかな
とか考えたり
鳥が見えると
鳥もたくさんの命をいただいているよね
と考えたり
その後スーパーに寄って
野菜やお肉やいろんなものを見ると
野菜が土の中にいるところを想像したり
さっきの鶏を思い出したり
そのものの背景を想像するようになりました
以前、食堂かたつむり
を読んで、
最後のシーンでも衝撃を受けましたが
実際に体験してみて
ああ
食べることについて
生きることについて
そして命がまわっていることについて
もう一度考えるとてもよい機会になりました。
参加された皆様、井口和泉ちゃん、
そしてこのような機会を設けてくれた
畠山千春ちゃんに感謝です。
本当に
ありがとうございました。
そして、
いままでいただいてきた命
本当にありがとう。
痛かったよね ごめんね。
大切に生きていくよ。
ちはるの森
http://chiharuh.jp/
の畠山千春ちゃんによる
chicken`s kitchen 屠殺ワークショップに参加してきました。
実は、参加するのを
ギリギリまでとても迷いました…
だけど、
千春ちゃんと
「沢山の命をいただいて今自分がある」という話をしたのを思い出して
決意が固まりました。
私は、これまでどれだけの命を口にしてきたのか
そして、食卓に並ぶお肉が、スーパーにならぶお肉が、
いったいどういう過程を経てそこにあるのか
それを知らずに、感じずに死んではいけないような、
そんな気になったのです。
このあいだ出演した能古島のイベント
「ノコノコロック」で千春ちゃんと出会い、このような決断をするのも
きっと何か不思議な縁なのでしょう。。
会場に行くと、
ニワトリが2羽元気よく歩いておりました。
茶色いボリスブラウンという種類のニワトリです。
抱かせてもらいました。
ニワトリを胸に抱くのはこれがはじめてでした。
フワフワしていて温かいのです。
瞬きをして、とても元気です。
みんなで生きているニワトリを触ってから
千春ちゃんの講義がはじまります。
千春ちゃんは、プロジェクターに
私達が普段食べているニワトリの暮らしを映して説明してくれます。
養鶏のメジャーな飼育方法は
ケージ飼いであること。
この方法は、大量生産向きで、
千〜何万羽の鶏を鶏舎内のケージで飼うのです。
生産コストも低いとのこと。
ニワトリはとても狭いケージの中(A4サイズ位)で
ひたすらベルトコンベアから運ばれてくる餌を食べ
換気をしない小屋で卵を産むのです。
よくスーパーで安売りしている卵は
このように育てられているニワトリから生まれたものです。
また別の飼育方法として
「平飼い」というのがあり、
ニワトリは小屋の中で数羽が元気に走り回りながら
卵をうみます。
今日これから命をいただくニワトリは
平飼い養鶏所で育てられた鶏です。
さて、2グループに分かれて
みんなの役割を決めます
・ニワトリを抑えている人
・殴って気絶させる人
・首を切る人
・血を抜く人
・熱湯に入れる人
・羽根をむしる人
・内蔵をとり出す人
私は、ニワトリを抑えている役割を
やらせていただくことにしました。
千春ちゃんが、
この「抑えている役割」のひとが大変だと言ったからです。
また、服に血やうんちがつくことがある、と
そして、抑えている役割のひとが一番、生と死を感じるでしょう、と。
はじめに私達のグループから
鶏の命をいただくことになりました。
私はしっかりと、抑えていました。
千春ちゃんがやり方を説明してくれます。
殴って気絶させるのも、中途半端だと鶏が辛い思いをするので
一発でやらなくてはなりません。
実はその説明を聞いている時に
私はこの温かい命をこれから奪って食べるのだ
ということに震えて
みんなに見えないように泣いていました
だけどね
私が美味しい美味しいといって食べてきた
カレーや鶏の唐揚げ、肉じゃが等などは全部
こうやって生きていた豚や牛や鶏の命をいただいて成り立っていたんだよ
泣いているけどさ、、
もうすでにいただいてきたんだよ、、、
そうこうしているうちに
この鶏の命をいただく時がやってきました
鶏の方もわかっているのか
覚悟をしたように
首を差し出しているように見えました
勝手な解釈ですが
そう見えました
殴って気絶させる係の人が
やり方を聞いて
鶏が辛くないように棒を振り下ろしました。
それでもバタバタ、バタバタ、と
鶏は動きます
「ごめんね、ごめんね、」
「いたいね、ごめんね」
私はずっと抑えていました
少量の血が私の手や服に飛びました
そして、すぐに首を落とします
あっけなく、首と体が離れました
そして、血を抜きます
ここで、血をぬく役の人に鶏を渡しました
私の手はいつまでもブルブル震えていました
「ニワトリ、死んじゃった」
ワークショップは続きます
私が呆然としていると
「大丈夫ですか」と声とかけてくださる殿方が…
「あちらで手が洗えますよ」
私は呆然としたまま、
手を洗いにいきました
そのまま小屋の裏に行って
一人でオイオイ泣きました
なんちゅうことを…
いや、
今までこれがあるから
スーパーにお肉が並んでいたわけだ
誰かがしていたことを
昔はおそらく
いきもの皆がやっていたことを
今、やったのだ
今まで私、
こんな背景があるなんてちっとも知らなかった
というか考えようとしなかった
いい大人が
人前で泣くなんて
だけど
その時私は心の整理がつきませんでした
ブッタで昔読んだ話
ウサギが自分の命を差し出す話
ある人間が自ら進んで虎の餌になる話
わたしの手には
さっきの元気なニワトリのずっしりした重みと
あたたかくてふわふわの羽根の感覚が残っていて
それは
私が小さいころ一緒に過ごした
柴犬の「コロ」の温かさと一緒だったし
今実家にいる猫の「クロ」の温かさと一緒だったし
私が抱きしめる家族の温かさと一緒だった
嗚咽をあげて泣いていると
遠くから1歳になる娘の泣き声がしました
娘は会場から離れた所で主人に見てもらっていました
(このワークショップに参加させるにはまだ早すぎると思ったのです)
私は走って娘の所にいきました
私が近づいていくと、
私が顔を歪めて泣いているのに気づいたのか
娘はピタっと泣くのをやめて
私の頭を撫でてくれるのでした
温かいなあ・・
この手の温かさは
一体どこからきたの
そうだよ
今まで一体どれだけの命を口にしてきた?
わたしは命を食べ
あなたのところに
わたしの母乳がいく
命はまわっている
過去をふりかえると
必要以上に命をいただいて
それなのに残したりしてこなかった?
バカ バカ 私 最低
遠くから私を呼ぶ声がしました
大好きな友達の声です
その友だちは、自然たっぷりの島に住んでおり
解体の現場に立ち会ったりもしているので
こういったことには少し慣れているようでした
彼女は木いちごをつんだり、甘夏をもいだり
釣れたさかなや貝を食べたり
私よりも、もっとずっといきものと身近な生活をしています
彼女は命が巡っていることを
生活の中でわかっているように感じました
それに比べて私は
ヒヨッコに思えてきましたが
でも、これが、いきものと身近な生活をしてこなかった
私の正直な今のきもちでした
ワークショップはつづきます
私が会場に戻ると
「鳥の羽をむしる」作業をしていました
血抜きをしたニワトリをお湯にひたし
毛穴を開いて蒸してから
羽根をむしります
毛穴が開いているので
すぐに羽根はとれます
羽根がとれると
普段スーパーなどでよく目にする
鶏の形になります
私は、美味しそうと思っていいのか
ここでも心の整理がつきませんでした
そして、内蔵を取り出します
中から殻のついた卵が出てきました
生む前の卵でした
そして黄色い「きんかん」も
「きんかん」とは、
鶏の体内で成長途中の卵のことだったのですね
鶏の内蔵という認識でした‥
(間違いではないのかもだけど)
でも、はじめの衝撃がまだ続いており
わたしはまだ、今の状況に混乱しておりました
そして、ニワトリは
料理研究家の井口さんによって
大切に美味しく調理されていきました…
そして、皆で持ち寄ったお皿の上に
美しく並びました
(この日はマイ箸マイ皿マイコップを持ち寄りました)
この日の
「いただきます」は
これまでの「いただきます」よりも
とてもとても重く、感謝の気持ちがこもりました
みんなで美味しくいただいた後は
「あなたにとって食べることとは何か」というテーマで
グループに分かれてディスカッションしました
1グループ5人くらいで それが5島くらいあったかな
途中でメンバーを変え、その都度新しいメンバーで話し合いました。
それぞれ皆、食べることについて真剣に話し合いました
いままでこんなに「食べること」について
考えたことはなかったと思います。
そして片付けをし
千春ちゃんやみんなにお礼をいって下山しました。
山を降りて
普通の町並みを車でゆくと
さっきまでのことが
なんだか夢を見ていたような気分になりました
だけどあれは現実です
街を歩くひとが見えると
あの人の中にどれだけの命が巡っているのかな
とか考えたり
鳥が見えると
鳥もたくさんの命をいただいているよね
と考えたり
その後スーパーに寄って
野菜やお肉やいろんなものを見ると
野菜が土の中にいるところを想像したり
さっきの鶏を思い出したり
そのものの背景を想像するようになりました
以前、食堂かたつむり
を読んで、
最後のシーンでも衝撃を受けましたが
実際に体験してみて
ああ
食べることについて
生きることについて
そして命がまわっていることについて
もう一度考えるとてもよい機会になりました。
参加された皆様、井口和泉ちゃん、
そしてこのような機会を設けてくれた
畠山千春ちゃんに感謝です。
本当に
ありがとうございました。
そして、
いままでいただいてきた命
本当にありがとう。
痛かったよね ごめんね。
大切に生きていくよ。
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